| 昭和13年 | 5月、現在地において株式会社公益社を松井信史朗が設立、営業開始 |
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| 昭和16年 | 太平洋戦争を勃発 戦時体制にて、企業合同が始まり6社合併により設立された京都厚礼自動車株式会社に3台の霊柩車を現物出資する |
| 昭和18年 | 本町営業所、十条営業所開設(企業合同) |
| 昭和19年 | 召集を受けて続々戦地へ赴く 松井信史朗も入隊する |
| 昭和20年 | 太平洋戦争終結 復員し、戦争によって疲弊した会社の立て直しに奔走する |
| 昭和25年 | 集中豪雨の山城地区が大被害を受け、京都府から被災救出の要請を受け出動 困難な作業を遂行し感謝状を頂く |
| 昭和29年 | 京都葬祭組合の結成を主唱し、大同団結のため尽力 |
| 昭和31年 | 松井信史朗が全国業界団体を設立する発起人代表となり「全日本葬祭業組合連合会(現・全葬連)」を結成 |
| 昭和38年 | 京都厚礼自動車(株)の取締役社長に松井信史朗就任 第1回焼骨供養法要を京都仏教会、京葬協の共催にて実施 |
| 昭和39年 | 洛北営業所(右京区)を開設 |
| 昭和40年 | 永年に亘り葬祭事業貢献の功績により、鈴木善幸厚生大臣より業界初の感謝状を授与される |
| 昭和41年 | 公益サービスセンターを設立(鳥丸出水) 葬祭仏事に関する相談所を解説 |
| 昭和42年 | 創立30周年を迎える ・北支社営業開始 ・公友クラブ設立 |
| 昭和47年 | 公益サービスセンター法人化、(株)京都相互センター(現・(株)公益サービスセンター)を設立 |
| 昭和51年 | 松井信史朗、全葬連を代表して、世界儀式連盟加入のためパリ本部へ出向 北支社増改築東棟完成 |
| 昭和54年 | 宇治支社、槙島会館(現・公益社宇治ブライトホール)を開設 |
| 昭和55年 | 松井信史朗、全葬連会長に就任 |
| 昭和57年 | 本社にコンピュータを導入、事務の効率化をはかる |
| 昭和59年 | 全葬連葬祭専門士認定講習会が行われ、当社から8名認定 世界儀式連盟パリ大会にて極東顧問に推挙される |
| 昭和60年 | 北支社(現・北ブライトホール)改築、西館が完成 |
| 昭和61年 | 松井信史朗勳四等湍宝章受賞 ・中支社完成 滋賀支社開設 |
| 昭和62年 | 「宗教サミットを迎えて」講演と天台声明を公益社協賛によりシルクホールにて開設 50周年記念祝賀会を催す |
| 平成2年 | 松井信史朗が代表取締役会長に、松井昭憲が代表取締役社長に就任 (株)公益サービスセンター社屋新築 |
| 平成6年 | 系列会社として(株)京花苑(現・株式会社京都セレモニー)を設立 |
| 平成7年 | 葬祭式場、各種文化教室の会場として、公益社中央ブライトホール(東山区)を開設 |
| 平成8年 | 滋賀支社を全面改装し、公益社滋賀ブライトホールを開設 |
| 平成9年 | 公益社宇治ブライトホールを改装、駐車場を拡大増設 ・60周年記念行事を行う |
| 平成10年 | 堀川支社(中京区)を開設 |
| 平成11年 | 北支社を全面改装し、公益社北ブライトホール(北区)を開設 |
| 平成12年 | 公益社北ブライトホールに南館を開設 |
| 平成14年 | 京都市南区に葬祭式場の公益社南ブライトホールを開設 品質マネジメントシステムの国際規格であるISO9001の認証(審査登録)を取得 創立65周年記念行事を行う 会社シンボルマーク設定 |
| 平成18年 | 堀川支社(現・北支店)を七本松下長者町へ移転 |